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原爆体験記(げんばくたいけんき)は、1965年7月、広島市原爆体験記刊行会編により朝日新聞社から刊行された書籍である。 == 概要 == 戦後、最も早い時期に編纂された原爆体験記の一つであるが、占領軍により配布を禁止されたため、長期間にわたり公刊されなかった(後出)。 1965年に初めて公刊された朝日新聞社版には体験記29篇が収録されているが、本書の最初の編纂よりやや遅れて編集・刊行された長田新編の文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(1951年10月刊)が、当時学童・学徒であった少年少女たちの作文を中心とし、主として子どもの視点からの被爆体験を扱っているのに対し、本書は多様な職業に就いていた幅広い世代の市民による、さまざまな視点からの体験記が収録されている点に特色がある。また被爆して間もない時期に執筆されたことから、被爆時の生々しい描写が多い反面、反戦・反核や平和のメッセージが少ないことも特徴としてあげられる。 体験記29篇のうち男性によるものは21篇、女性によるものは8篇であり、執筆者は被爆当時の年齢で8歳の小学生(国民学校生)を最年少に、10歳未満が2名、10代が8名、20代が5名、30代が3名、40代が5名、50代が4名、年齢不詳が2名である。学童・学徒(小学生4名・中等学校生4名・(旧制)専門学校生1名)を除けば職種は会社員・事務員・軍人・教員〔広島文理科大学教授の南アジア史家・杉本直治郎の手記を含む。〕のほか自動車運転手・貸席業主など多様であり、また被爆時の場所も、ほぼ爆心直下の燃料会館で被爆した男性事務員(当時47歳)〔この男性の手記「爆心に生き残る」は被爆直後の爆心地近辺の状況を伝える貴重な証言となっている。〕を筆頭に、爆心地から1km以内が4名、1km〜2km未満が13名、2km〜3km未満が5名、3km〜4km未満が3名、4km以上が4名〔県外など遠隔地に疎開していたため直接被爆を免れた学童を含む。〕で、さまざまな状況での原爆体験を記したものが選ばれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原爆体験記 (広島市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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